高木ブー 85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」
ドリフターズ“第5の男”高木ブーが語る「これからのドリフでやりたいこと」
7/29(日) 17:00配信 文春オンライン
http://bunshun.jp/articles/-/8306
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180729-00008306-bunshun-ent
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180729-00008307-bunshun-ent
高木ブーさん、85歳
(出典 bunshun.jp)
『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』。多くの人にとって、笑った数だけドリフの思い出があるでしょう。
ドリフターズ “現役最長老”高木ブーさんは現在85歳! 今だから話せる貴重なお話をたっぷりとお伺いしました。聞き手は演劇史研究者・笹山敬輔さんです。
■僕はドリフに引き抜かれたんです
―― 今日は、ミュージシャン時代から『8時だョ!全員集合』まで、芸能活動全体のお話を伺いたいと思っています。まずは、ドリフターズとの出会いから教えてください。
高木 僕は途中から加入したメンバーで、ドリフとはジャズ喫茶で知り合いました。そのころのジャズ喫茶は、30分交代で2つのバンドが出るんですよ。僕らのバンドが出たとき、その相手がドリフだったことがあったんです。
―― そのときのドリフには、いかりやさんや加藤さんは?
高木 もういたよ。コミックバンド的なことをやってたね。リーダーが桜井輝夫さんで、小野ヤスシとかもいた時期だった。
でも、知り合ったといっても、僕のところにスカウトに来るまで、いかりやさんと口をきいたことはなかった。
―― あっ、そうなんですか。じゃあ、突然いかりやさんが高木さんを誘われて。
高木 もちろん。小野さんたちが辞めることになって、欠員が出た。昔のバンドは、15日前に言えば辞められたんだけど、仕事が決まってたから困ったんだろうね。
誰かいないかとなって、いかりやさんと桜井さんの2人が来て、引き抜かれたんです。
―― 桜井さんってどんな方だったんですか?
高木 桜井さんは、カントリーの人。歌の上手い方なんだけど、お笑いが好きなんですよ。
自分ではそんなことしないんだけど、あのころはクレイジーキャッツの時代でしょ。クレイジーは、音楽もコミックもやる一流のバンド。
だから、桜井さんとしてはドリフもそんなグループにしたかったんでしょう。後から考えると、桜井さんの力は大きかったなあと思います。
―― その後、桜井さんが退き、荒井注さんと仲本工事さんが加入して、おなじみのドリフのメンバーになるわけですね。昔の資料を見てると、「高木智之」の名前で出演されてますね。
高木 それは最初の芸名だね。
―― 記事には、「アダ名はブー」って書かれてます(笑)。
高木 「ブーちゃん、ブーちゃん」って言われてたからね。芸名は、ハナ肇さんがこじつけで勝手につけたんです。
メンバーみんなそうだよ。碇矢長一が、響きがいいからって「長介」。加藤は、水にちなんだ名前が出世するとか言って「茶」になった。
仲本は、本名が「興喜」なんだけど、よくケガしてたから工事中の「工事」。工事は、水たくさん使うだろって、こじつけもいいとこだよね。で、高木ブーは、もうそのまんま。
―― 1969年に『全員集合』が始まり、最高視聴率50%超のお化け番組になっていきますが、5年目に荒井注さんが体力の限界を理由に脱退します。あれは直前に聞いたんですか?
高木 うん。一応、いかりやさんから僕のところにも話があった。これからどうしようかって。僕は「4人じゃおかしくないか」って意見を言ったかな。
「全員集合」って言葉は、番組が最初じゃないんですよ。ジャズ喫茶のとき、音を間違えると、いかりやさんが真ん中で「全員集合」って叫ぶの。
そしたら、両サイドから2人ずつ集まってくるっていうギャグをやってた。それが2人と1人だとバランスおかしいでしょって、言ったことあるよ。まあ、それだから志村を選んだわけじゃないだろうけど。
>>2以降に続きます。
>>1
後期高齢者も後期に入ってるだろうに
この人はいつまでおっさんなんだ
>>1
元気そうだね、雷様
―― 志村さんはドリフのボーヤ、いわゆる付き人だったんですよね。ボーヤ時代の志村さんで、何か印象に残ってることはありますか?
高木 うーん……。ボーヤだねって印象しかないかな。
―― 他のボーヤの方との違いなどは。
高木 ボーヤはいっぱいいたからね。志村は、「マック・ボンボン」というコンビを作って一度独立して、またボーヤで戻ってきたの。あと、すわ親治って知ってる?
―― はい。すわさんもドリフのボーヤで、『全員集合』のコントにも出演してましたよね。
高木 志村がいなければ、すわ親治が入ってたでしょうね。
―― 当時は、すわさんが加入するという噂もあったそうですが、どうして志村さんになったんですか?
高木 順番でしょう。荒井注が辞めて志村、次に僕が辞めたらすわ親治、そんなところでね。
―― 高木さんは、ドリフを辞めたいって思ったことはあるんですか?
高木 ないです、ないです。すわ親治には申し訳ないけど(笑)。ずっと後になるけど、サザンの桑田が入ってたかもしれないし。
―― 桑田佳祐さんのことは、いかりやさんが目をつけてたと聞いたことがあるんですが、本当だったんですか。
高木 桑田が入ったら、まただいぶ違っただろうなあ。
■加トケンの動きっていうのは、ちょっと大変なもんだよね
―― ドリフ加入後の志村さんは、どんどん人気者になっていきますが、高木さんはどんな風に見ていましたか?
高木 それはまあ、しょうがないよ。これは年齢の違いもあるんだろうけど、加藤に対する志村のツッコミ、あの呼吸には僕ら、かなわないもんな。
今の漫才の人たちは動きができないけど、加トケンの動きっていうのは、ちょっと大変なもんだよね。
■だって長さんには愚痴こぼせる人がいないんだもの
―― いかりやさんが亡くなる3ヵ月前、『ドリフ大爆笑』のオープニングとエンディングを収録されてますよね。
高木 覚えてますよ。あのときの長さんは、もう声出なかったんじゃないかな。でも、死んじゃうなんて思ってもみなかった。何かのテレビで顔を見て、治ったんだなって思ってたくらいだから。
―― 訃報は、仕事先の岡山で聞かれたそうですね。
高木 かけつけたのは、僕が一番早かったんじゃないかな。仕事帰りに飛んで行きました。
長さんを前にして「バカヤロー」って思わず叫んじゃったよ。これからどうすんだよ、ドリフをどうすんだよ、って。
昔のことだけど、『全員集合』をやってるころ、所帯を持ってるのは僕と長さんだけだった。
他のみんなは、番組が終わったら、パーっと遊びに行っちゃう。そのとき、「おい、飲みにいこう」って言われるのは僕なんだよ。
今だから言っちゃうけど、飲みに行くと長さん、メンバーの愚痴をこぼすんだ。もちろんそれを誰かに言うつもりもなかったし「はいはい、そうですね」って聞いてた。
だって長さんには愚痴こぼせる人がいないんだもの。俺だったら年齢が一番近いんで、話しやすかったんだと思う。
■長さんとデートした話
―― いかりやさんにとって、高木さんの存在は大きかったんですね。
高木 おっかしいんだよなあ、長さんの2人目の奥さんのデートに誘われたこともあったんだよ。
―― 高木さんも一緒にですか?
高木 そう、3人で歩いてデート。きれいな彼女で、黒の毛皮のコートなんか着てました。2人っきりになるのが恥ずかしかったのか、
あの人、そういうのは不得意だったんだよな。でもだからって、なんで俺が行かなきゃいけないんだって(笑)。あの時はさすがに思ったな。
■なぜ高木ブーといえば、ウクレレになったのか?
―― 高木さんといえば、ウクレレ&ハワイアンブームを起こしたミュージシャンとしてもご活躍ですね。
高木 これはね、許可をもらったの。ドリフは単品で仕事をするってことがありえなかったんですよ。
でも、『ドリフ大爆笑』がひと区切りついて、もう好きなことしていいよってなった。そこで何をやろうか考えて、「そうだ、昔やってたハワイアンがある」って。
だから、ドリフのメンバーも僕がウクレレ弾くって知らなかったと思う。
―― 1999年にNHKでウクレレ教室の番組が始まりました。
高木 よく探してくれたなと感謝してます。でも、おかしいんだよ、NHKなのに“雷様”で出てるんだから。
―― 高木さんのミュージシャンとしてのルーツは、ウクレレなんですね。
高木 戦争が終わって2、3年経った頃、15歳の誕生日に兄貴がウクレレ買ってくれたんだよ。そしたら、そのころ千葉の柏にいたんだけど、増田進って人から「ハワイアンやろう」って誘われたの。それで初めて、ウクレレを弾いた。
―― きっかけは偶然だったんですね。
高木 何の気なしだね。ちょうどハワイアンが流行し始めてて、高校時代もウクレレサークルを作った。
そしたら同級生にすごい上手い親友がいてね。彼がプロになって良いバンドに入ったんだよ。僕も中央大学卒業後は、彼との繋がりがあるから、同じプロダクションに入った。
■人間にはそれぞれに役割があるんだよ
―― 高木さんは、ドリフの中での自分の立ち位置をどのように考えてましたか?
高木 昔書いた僕の本『第5の男 どこにでもいる僕』、このタイトル通り。どこにでもそういう人がいるんだよ。
3人のトリオだって、必ず上中下がいるじゃない。たとえ1人が目立ってても、第2の男、第3の男がいるわけでね。人間にはそれぞれに役割があるんだよ。ドリフは5人だから、僕が第5の男。
―― ドリフのすごさは、全員が自分の役割を分かっていて、チームワークの笑いに徹していることのように思います。
高木 最初のころに、これからのドリフをどうしていくかミーティングしたんだよ。それで、加藤を中心にして、4人でバックアップしていこうって決まったの。でも、はっきりと形になったのは、『全員集合』のコントをやってる中でだろうな。『全員集合』も最初のころは全くウケなかったからね。
―― 走りながら分かってきたって感じですか?
高木 そうだね。僕らって体を張ってやるような笑いばっかりでしょ。僕はもちろんだけど、加藤や志村にしたって、喋りが上手いわけじゃない。
そういうグループを動きだけで、あそこまでもっていったのは、長さんの力だよね。みんな、基礎はなかったけど、それなりに考えてここまでやってきた。
■昔やったコントを4人でやりたいね
―― これからドリフとしてやってみたいことはありますか?
高木 この前、加藤も言ってたんだけど、新しいコントじゃなくて、昔やったコントを4人でやりたいね。
もう体の動きも悪いし、言葉も変わっちゃってるけどさ。でも、昔のネタをそのままやってみたら、どうなるだろうって。ちょっと想像もつかないよね。
―― それは面白そうです。ファンとしてはぜひ見たいです! 昨年、『志村けんのだいじょうぶだぁ』で久しぶりに4人のコントをされてましたよね。
高木 あれは志村が考えたんだろうな。ああいうのはいいよね。みんなで2時間もやるのは無理だろうけど、ネタやって笑わすだけの力はあるわけだから。
―― 今日お会いして本当にお若いと思ったんですが、これからの理想の人生って何でしょうか?
高木 年とってから動きは鈍いけど、今のところ体の中に悪いところはないんだよ。ワールドカップだって、夜中起きて全部見ちゃったくらい。
だから、コントもやりたいし、ちゃんと歌い続けられる限り、ウクレレ弾いていたいって思ってます。
もう死んじゃったけど、ハワイに100歳でウクレレ弾いてた人がいたんですよ。いいよね。僕もとりあえずオリンピックまで生きて、そのまま100歳までがんばりたいね。
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たかぎ・ぶー/1933年東京生まれ。中央大学在学中にハワイアンバンド「ルナハワイアン」のメンバーとして活躍。その後「高木智之とハロナ・セレナーダス」などを経て、1964年に「ザ・ドリフターズ」に参加。高木ブーとして、日本中のお茶の間に笑いを届ける。現在もミュージシャンとして活動中。
俺は高木ブーだ
>>5
自己紹介しなくても知ってるよ(´・ω・`)
日本3大謎長生きの一人か
あと小林亜星
面白くない方のメンバーくらいに思ってたけど、
カミナリ様でのフリートークが面白くて考え方変わった
高木ブーがこんな素敵な爺さんになると
あの頃の子供たちの誰が想像したろうか?w
最初はブー
死ぬまでドリフの呪縛って可哀想
いかりや 6
高木 1
仲本 1
加藤 1
志村 1
ドリフのギャラの分配
>>15
カトちゃんが人気になったら、カトちゃんだけ2くらいにになったはず。
やはり、不健康そうなヤツほど長生き説は立証されたな
何だかんだで長生きだな
あまり神経を使わないからか
中央大学卒かよ
桑田佳祐がドリフ?
>>19
見たい
>>19
サザンオールスターズは全員集合に出たのがきっかけで一般層にブレークした
それ以前は若者の間で「変なコミックバンドがいる」的な話題になってただけだったんだよ
全員集合に出て「真面目な音楽バンド」だと理解されたんだが
いかりやなどドリフのメンバーは桑田のコメディアンとしての才能にも注目してた
ちなみにピンクレディーがブレークしたきっかけも全員集合だよ
>>39
ドリフきっかけでブレイクした人多いよな
タレントしかりミュージシャンしかり芸人しかり
>>39
へぇ~、それは知らなかった
サザンって長渕や吉田拓郎みたいに最初から純粋なミュージシャンかと思った
お笑い兼音楽みたいな感じだったのか
今や純粋なミュージシャンだけど
>>76
桑田は勝手にコミックバンド扱いされて不本意だったはず
お笑いやってたのは大友康平
アルフィーはいまでも高見沢が台本書いてライブの中でコントをやっている
>>88
不本意ならなんで勝手にシンドバッドなんて曲デビュー曲に選んだんだ?
もっと真面目な曲でデビューすればよかったのに
あの曲じゃ勘違いされるわ
当時哀愁あるフォークソング全盛期だし
>>19
仲本工事は学習院
いや、高木ブーさんが、中央大学卒業してたって初めて知ったよw
聞いてるフリして寝てたろ
ちょっと前に免許返納した、ってニュースになってたな。
ドリフの全員集合をぶっ潰したのは、お笑い芸人たちの俺たちひょうきん族。
あのころ、別の時間帯か別の日にやっていれば、お互い生き残っていたのかな?
短命だと思ってたブーさんが長生きしてるんだもん
寿命って遺伝子で決められてるのかもな
ブーさんとツーショット写真を撮らせてもらったのは俺の宝物だよ
もう10年くらい前になるけど
芸能史においてものすごい貴重な証言だな
ブーさん末永く自適にお洒落であってほしい
勝手にシンドバッドのタイトルは全員集合のコントから
ドリフ全盛期の頃40代後半ー50代だったんだなw
俺にもまだチャンスあるかもしれんと希望もてるわ
以前テレビで芸能人を100人くらい集めてどれだけ起きていられるかを争う企画があって雷様姿でブーさんも参加した
最初に脱落したのは当然ブーさんだった
真っ先に死にそうな体型だったのに長生きだな
全員集合の時はあんま存在感ないなと思ってたけど
大爆笑やるようになって絶対必要な人なんだなと見る目が180度変わったな
娘がソックリなんだよな
ドリフは今見ても面白いのがすごい
ひょうきんとかは今見ても面白いと思わないのに
基本は音楽しか興味なさそうだけど
基本置物でもキャラ的にはドリフの構成要素だな
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